声が聞こえる。
真っ白な円の外側からを呼んでいる声が聞こえる。
いつか見た光景には瞬きをした。
全く同じ真っ暗な空間に、以前と変わらない真っ白な円。その中央に立っている自分も何も変わっていない。
ただ、耳に届く声だけが一層鮮明だった。
「 」
それなのに、その名前は解らない。聞こえているはずなのに、慣れ親しんだその音が理解できない。
「……だれなの」
は声に尋ねた。
どこから聞こえているのか明確ではない、暗闇から届く声に話しかける。
暗闇から返事は来ない。
ただただ、名を呼び続けるだけの声はやはり遠ざかっていく。
それを感じ取りながら、は目を閉じた。
「大丈夫か、おい」
揺さぶり起こされては覚醒する。
手のひらで目元をこすり、ゆるく頭を振った。
目の前では心配そうにの様子を伺う鬼瓦の姿があった。
「鬼瓦さん……」
「おお、よかった。目が覚めたか」
「……すみません……寝てました」
呆れたように溜息を吐く鬼瓦に苦笑を返す。
立ち上がった鬼瓦に続いても立ち上がる。
体調は少し回復しているようで吐き気は感じられない。
ぱたぱたとスカートを払って、身なりを整える。
「さあ、行くぞ。響木の所でいいんだな?」
「はい。すみません、お願いします」
薄暗さはちっとも変わっていない廊下を鬼瓦に続いて歩く。
全く迷いのない足取りに安心しながら、この後どうやって響木に説明をするか考えていた。どうやっても迷っていましただけで納得してくれるような大人ではないだろう。
しばらくすると全体的に廊下に光が差し込んでくるようになった。
外に繋がっているのだろう。同時に歓声も響き渡り、通路内に反響してくる。
明暗差に手のひらで日除けを作る。
「ほら、着いたぞ」
鬼瓦の言葉には前に歩み出た。
は振り返るが、鬼瓦は一向に動く気配を見せない。
「ありがとうごさいました。鬼瓦さんはご一緒に観戦なさるんですか?」
「いいや、俺は遠慮させてもらおう。あいつにはみっちり話を聞かせてもらわなきゃならねえ」
そういって鬼瓦は通路へと路を返し進んでいく。
通路の出入り口まで近づいて、はもう一度ありがとうございました、と告げた。
ひらりと手を振った鬼瓦が「本戦進出の報告、まってるよ」と言い残し、通路の奥に消えた。
そしては次なる関門に立っている。
どうやって説明をするかだ。素直に話してしまえばいいのかもしれない。下手にごまかすよりはいいだろう。
響木には話すつもりでいた。しかし、他のメンバーに話すとなると問題がある。
第一に、彼らはおせっかい集団だ。そして心配性集団でもある。
自分の事は二の次にして相手を優先させる具合にある彼らに話して負担にするのは気が引ける。
ちらりと、ベンチに視線をやる。少し騒がしい。
どうも円堂が不調のようだった。夏未や風丸の声が聞こえ、響木の声もする。
は口元を歪めた。事実は響木と画策して隠蔽するべきなのだろうが、どうもタイミングが合わない。
彼らに説明するよりも先に響木に説明する機会を設けて協力を仰がなくてはならず、それには彼らとは別行動をしている時でなくてはいけない。
ちょっとまて、よくよく考えれば、先ほど鬼瓦に説明しておけばよかったのではないだろうか。
それ経由で響木に伝えてもらう算段でもいい。というか彼は警察なのだから、任せてしまえばよかったはずだ。
うっかりしていた。今からでも追いかけて話をするべきかもしれない。
ずきずきと痛む頭を抱えて通路に足を踏み出した瞬間だ。
「先輩!?」
「ぅあ、はい!?」
反射的に振り返ればそこには音無の姿があった。神妙な顔をしている。
の声に反応してベンチの屋根から木野と夏未が出てきた。
「さん!」
一目散に夏未が駆け寄ってくる。
真正面に立ち、きゅっとの手を取るとじっと見つめてくる。
その目をそらさず見つめ返すと、夏未が口を開いた。
「無事、なのね」
「うん、ごめんね、夏未さん。心配かけちゃって」
力の入っていた手が緩む。
照れ隠しからか夏未の眉間にきゅっと皺が寄った。見つめ合っていた瞳はまぶたに遮られた。
頬も少し紅潮させ、口を尖らせるとそっぽを向いてしまった。明るい茶色の髪の毛が揺れる。
「全くよ! 今後こんな事は許しませんからね」
繋いだ手は離さないまま、夏未がそう言った。
木野はその様子を見て小さく微笑む。しかし音無は不安そうにこちらを伺っている。
「音無さん?」
「先輩……本当に大丈夫ですか?」
眉尻を下げた音無が、小さくそう尋ねた。
は夏未の手を引いて音無に近付く。
どうしたの、と音無の顔を伺えば音無は唇を噛み締めていた。
「監督からは迷子だって聞いたけど、何があるかわからないから……現にさっきだって」
グラウンドを見て音無がぐっと拳を握る。
少し前に天井から鉄骨が落ちてきたグラウンドだ。それを謀っていたのは影山で、この帝国学園のトップの男だ。
その帝国学園の中で迷子になったと聞けばそれは心配もしただろう。
「本当に大丈夫よ、音無さん。だから心配しないで」
空いた手で音無の頭を撫でる。安心させるようにゆっくりと何度も往復させた所で音無がの手から離れる。
「わ、ぁ」
手からは離れたのだが、には近付いた。ぎゅうぎゅうと抱きしめられては小さく息を吐く。
隣で静観していた木野の手を掴むとぐいっと引き寄せた。同じく夏未の手も引く。
急に集まった女子マネージャーたちは少し驚いた顔をして、それから笑った。
木野が微笑んだまま眉尻を下げた。
「本当に心配したのよ?」
「ごめんね、迂闊だったわ。今度から気をつける」
がそう言った所でホイッスルが鳴り響く。ハーフタイムが終わったようだった。
選手がグラウンドに戻っていくのに合わせてマネージャーたちもベンチへと足を向ける。
木野に手を引かれながらは舞う髪の毛を抑えた。ついでに頭も抑える。頭痛が未だ収まらない。
これ以上不安を煽るまいと黙っているが、それにしてもどういう事だろう。
暴力を受けた箇所が痛むのは仕方ないにしても、頭痛とめまいが長引きすぎだ。
ベンチの端に腰掛け、目を閉じ大きく深呼吸をする。
試合に集中している控えの選手はの存在に気が付いていないようだった。
選手とマネージャーたちのあいだに響木が座っている事も関係しているかもしれない。
「さん、ひとついいかしら」
真隣に座ったのは夏未で、反対側には木野。その向こうに音無が腰掛けている。
夏未は木野たちには聞こえない声量でに話しかけた。
倣っても声を潜め、なあに、と返した。
口元に小さく笑みを浮かべ、真っ直ぐな瞳で夏未がを見つめている。
綺麗だなあ、なんて思った瞬間。夏未の言葉によって思考は停止した。
「どうして裸足なのかしら。靴はどうなさったの?」
真っ直ぐな瞳は逃れる事を許さない。挑戦的に見つめる夏未の言葉に対して返す言葉は見つからない。
完全に、勘付かれている。何が起こったかは分からないだろうが、何かが起こった事は完全に見抜かれている。
そっと自分の足先をすり寄せる。靴下が少しずれ心地悪いが夏未の視線にさらされているよりマシだ。
「さんには色々と話してもらっていない事があるわね。いい機会だから、きっちりと話してもらいたいわ」
にっこり、と微笑んだ夏未に、確実に勝ち目がないことを悟ったは小さく「はい」と返事をするしかなかった。
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