松葉杖の生活にはストレスしかたまらない。
サッカーだけではなく、思うようにしたいことはできない。少し前まではサッカーもしていなかったが、そういうのとはまた異なる、不便さだけではないストレスがたまる。
部活に出ても仕方のない豪炎寺は授業が終わりしだい帰宅する旨を円堂に告げていた。情けない顔をしながらも、うん、と返事をした円堂に対して申し訳ない。大事な試合だというのに、怪我などするなんて。
帰宅部の帰宅時間と少しずらして教室を出るため、豪炎寺はしばらく教室に留まっていた。半田や木野が声を掛けて教室を出ていく。円堂はもっと早く教室から出ている。
豪炎寺は溜息をついた。
「そろそろ廊下空いたみたいだよ」
「ん、そうか」
扉の向こうからが首を出した。ひょこん、と黒髪が跳ねる。
帰るか、と豪炎寺が言えばが頷き近付いてくる。の手を借りて豪炎寺が立ち上がった。
荷物に手を伸ばすが、寸でのところでに取られた。
「、自分で持てる。重くないから大丈夫だ」
「重くないし平気。手がふさがると危ないでしょ」
前を歩くを追いかける。
も怪我をしている。腕の包帯はまだ取れていない。それなのに荷物を持たせるのが心苦しい。
あと階段を下りるのにの手がふさがるという状況が不安でならない。足を滑らせても受け止めてやれないのだ。
「あのね、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「そういって大丈夫じゃないから怖いんだ、お前は」
そういっている間に階段にたどり着く。松葉杖をついている自分よりも両足でしっかり立って歩いているはずのが心配だというのもおかしな話だが、はらはらしながら階段を下りるのを見守る。
「ほら、大丈夫でしょ」
振り返ったが少し口を尖らせて、そう言った。
ほっと胸を撫でおろす。
校門の前にタクシーを呼んである。荷物を入れたは、そのまま部室に向かうのかと思っていたのだが、タクシーに同乗した。
「……?」
「あ、運転手さんここまでお願いします」
メモを一枚手渡して、が席に着いた。
なあに、とが首を傾げる。
なあにじゃないだろう、なあにじゃ。
豪炎寺は大きく溜息をついた。
何も言わない豪炎寺に、不思議そうな顔をすることもなくは座っている。
車窓外では一年生が染岡と河川敷で特訓しているのが見えて、悔しさがこみ上げる。二年も作戦会議をしているようだった。怪我など本当にするものではない。
不意にが呟いた。視線をに向ける。
「今年はちゃんとお願いしなかったからなあ」
「何にだ」
「ミサンガに。すればよかったね、お願い」
去年は効果あったのにね、と笑うの手首にはもうミサンガは付いていない。
「ミサンガはそういう用途ではないんじゃないか」
「えー、気持ちの問題でしょ。自分がお願いした事を目で見て分かればいいんじゃない?」
確かにそうかもしれない。ただの紐一本が願いを叶えるなんて事はないだろう。願いが叶うのだとしたらそれはやはり自分の努力の結果なのだろう。
車が曲がる。予期せぬ方向に。
「おい、家はそっちじゃないだろう。お前メモに住所書いたんじゃないのか」
「書いたよ。うちの住所だからあってる」
「の、家?」
「修也くんちは今、人いないでしょ? だからおじさんと話して、うちに泊まってもらう事になったんだけど……聞いてない?」
こてん、と首を傾げるに聞いてないと返す。
あははと軽い調子で笑うの額を小突く。小さく非難の声が聞こえたが気にしない。
「俺を置いて勝手に話を進めるな」
「ごめんね、でもいいでしょ。うちだと気を使わないで済むし」
「迷惑だろう、怪我人の面倒を見るのは。ひとりでも大丈夫だ」
迷惑がかかるのはだけではなく、の両親にもだ。父親は海外赴任でいないと聞いたが。
「気にしないでよ。お母さん、料理ふるまうの楽しみにしてたから。それに無理して悪化したらそれこそ問題だよ?」
大事な試合があとにも控えてるんだから。はそう言って笑った。
円堂たちが負けるなんて欠片も考えていないようだ。もちろん、豪炎寺もそんな事は考えていない。
程なくして車が止まる。が先に下車した。荷物はやはり先に持ち出されている。
誘導されるままに家に入った。
手を洗ってリビングに向かうとがキッチンから顔をのぞかせた。
いつの間にか髪を高い位置に結っている。
「お茶?」
「ああ」
勝手知ったる他人の家とはこういうものなのか、断りもなくリビングのソファに腰掛けた。がお茶を持ってくる。
グラスをテーブルに置いて、が隣に座る。荷物は部屋の隅の方にちゃんと並べられていた。
「着替えはこの間泊まった時のでいいよね。怪我してるからシャワーだけにする?」
「どっちでもいい」
「お風呂入りにくいなら手伝うけど」
からん、とグラスの中の氷を揺らしながらが尋ねた。
豪炎寺は危うく口に含んだお茶を吹き出すところだった。こらえた自分を褒めたい。
怪我に対してすこし大げさすぎるこの状況は、確かに不便だが、手伝ってもらうほどの事ではない。
というか風呂に入るのを手伝うとは何を考えているのかというか何も考えていないのか。
ちらりとを見る。きょとん、と効果音が付きそうな表情をしていた。
おそらく後者だ。何も考えていないのだろう。
確かに昔は一緒に入ったりもしたが、この年で誰かと一緒に風呂だなんて馬鹿げている。
「お前も怪我をしているだろう」
「んー、私は別に平気なんだけ……っ」
言い切る前に背中を軽く叩く。この間の階段落ち事故の時にしこたまぶつけたという背中だ。
声にならない声を上げてが背中を反らす。そしてソファに倒れこむと膝を抱えて丸くなった。
「すまない、大丈夫か」
「思ってない、絶対に思ってない……っ」
「すまない、確かにそんなに思ってない。というかパンツ見えてるぞ、はしたない」
「何見てるのよー」
スカートの裾を引っ張って下着を隠す。伸びてきたの手が豪炎寺の手を払った。
直してやったのにその反応はないのではないかと豪炎寺は口を尖らせた。
のそりとソファの上で体制を起こしたも同じく不満そうである。
「、おばさんは今晩何を作ると言ってたんだ」
が不満そうなのはポーズだけだと知っている豪炎寺は何のフォローもなしに言葉を放つ。
今更下着の一枚や二枚で動揺するような仲ではない。
「修也くんのリクエストに応えるって言ってたけど。修也くん何食べたい?」
当然、何も気にした様子のないが言葉を返した。
豪炎寺は食べたいメニューについて思考を巡らせる。
なにか、一人の時は食べないようなメニューがいい。
「なべもの……?」
「この暑いのに? いいけど」
これから夏に向かっていく時期に鍋物は少し違う気がする。
でも一人では食べないものではある。
「いや、鍋じゃなくてもいい」
は首を傾げた。そしてすぐに「わかった」と言って頷く。
そして徐に携帯電話を取り出すとカチカチとキーを押していく。
おそらくは彼女の母親にメールを作成しているのだろう。
何のキーホルダーもついていないシンプルな携帯電話が動作に合わせて揺れる。
「なにか、量がある方がおいしいものにしようか」
「そうだな」
「お母さん、修也くんに甘いからきっとピーマンは使わないんだろうなあ」
「うるさい」
が少し笑って、携帯電話をテーブルの上に置いた。
立ち上がるとそのままリビングを出ていく。風呂の準備をしに行くのだろう。
それを見送って、豪炎寺はソファに深くもたれかかった。
どうせ手伝うと言っても断られるに決まっている。自分も怪我をしているというのに、昔からは過保護だった。
いつもは部活をしている時間。何をすればいいのかも分からず、テレビを見る気分でもなく、豪炎寺は小さく息を吐いた。
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