春が来た。
桜の花びらはもう殆ど散って、暖かな日差しが過ぎる春を惜しむように照らしている。
そんな中、あまりにも突然に発せられたその言葉に、私は驚きで固まっていた。
返事云々を抜きにして、動きすら止めた私に修也が眉を顰める。
「おい、聞いていたか?」
「聞、いてた、うん。聞いてた」
二、三度頷く。
聞いてはいたのだが驚いたものは仕方がない。
はぁああ、と溜息とも声ともつかないものが零れ落ちた。
「修也くん、去年の今頃すっごく怒らなかったっけ」
唇を尖らせて修也を見る。
バツが悪そうにすまないと言って視線を逸らされた。
別に怒っているわけではない。ちょっと困った顔が見たかっただけなのだ。
小さく溜息をついて、あの日と同じようにそれで、と尋ねた。立場は逆転しているが。
「雷門に編入することになった」
聞けば明日明後日にでもこっちに越してくるらしい。
そっかあ、と相槌をうつ。
「大好きなお兄ちゃんが近くにいるなら、夕香ちゃんも喜ぶね」
笑いかけると眉間の間に寄っていた皺が解れた。
そしてそろそろと視線が私に戻ってくる。完全にかち合う頃には眉尻が下がっていた。
目を合わせたまま首を傾げる。
なあにと尋ねると困ったように小さく口の開閉を繰り返し、最終的には視線がまた逸らされた
「怒ってないのか」
「怒るって……何に?」
連絡が滞って引っ越し直前に打ち明けることになった展開にだろうか。
それとも雷門に編入することだろうか。
今の会話の中に怒るポイントなどないが、内容としてはそれしか話していない。
後者は完全に私が口を出すところではないから違うだろう。同じ学校に通いたくないなら話は別だが特にそんなことはない。
では前者だというのか。
そんなことにいちいち腹を立てると思われているならそこについて怒りたいものだが。
そもそも修也に対して呆れたり叱ったりすることはあっても、一度も怒ったことはないはずだ。
修也以外にも誰かに対してそんなに怒った覚えもない。なぜそんなにびくびくされなくてはならないのかが分からない。
ただ修也に説明して分かってもらえるとは思わない。一度はまるとどん底までマイナス思考を引きずるのだ。
「修也くんは私に悪いと思ってくれてるんでしょう?」
こういう時、修也の無言は肯定。
違うと思ったことには納得するまで食いついてくるのだから分かりやすい。
言葉を続ける。
「じゃあ怒ることなんてどこにもないじゃない」
どうにか修也を納得させる言葉を探す。その点においては昔に比べれば随分とやりやすくなったものだ。
ね、と笑いかける。
隣に座る修也の腕が伸びてきて、しっかりと捕まえられた。
小さく息をついて頭をなでてやる。どうやら負のスパイラルには引っかからずに済んだようだ。
しかし今度は離れない修也にどうしたものかと頭を抱える。
去年の秋も終わる頃から修也は、幼い頃と同様によくしがみつくようになった。
こちらとしては夏場は勘弁してほしいが、暖かな体温は嫌いじゃない。
もう完全に体格に差が生まれてしまった分すっぽりと納まる腕の中も落ち着くと言えば落ちつく。
では一体問題は何かという話だが、問題は嫌ではないことなのだ。
それでは修也はいつまでたっても私離れができない。
私もなかなか依存しているのかもしれないが、修也のそれは比ではない。と思う。
夕香の代わりになるつもりは毛頭なかったのだが、どうやら近しい状況が出来上がってしまっているらしい。
これでもし私の身に何かが起こった時、修也はどうなるのだろうか。一抹の不安が脳裏をよぎる。
自分の身に何かが起こるなどと考えたくもないが、考えて何か手を打っておかなくてはならないかもしれない。
果たして自分の行動の何かが落ち込んだ修也を引き上げる切欠を作れるのだろうか。
現在の状態で答えを出すならNOである。きっと何を言ってもマイナス方向に捉えるのだろう。
私の言葉は他人に前を向く力を与えるものではない。そんな力は私にはない。捉え方を見誤るならそれこそ最悪の方向に傾く物にさえなる。
まだ腕を解かない修也の背中を一定のリズムで叩く。
しがみついたまま離れない修也は、まるで小さな子供のようだと思った。
(いつかきっと一人で立たなきゃいけない日が来るんだよ)
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20140510/訂正