授業が終わって、夏未の誘いも断って、まっすぐに病院に足を向ける。
本当なら一週間前から夏休みに入っている。
今日学校に行ったのは私が編入するより以前にあったオリエンテーションを実地してもらうためだった。
その後お茶はどうかしら、と声をかけてくれた夏未に頭を下げて私はここに来た。
大きくて広いこの病院を訪れるのは片手で事足りる程度だった。
受付のお姉さんに会釈をして目的の病室へ向かった。
中で使用している人に対して広すぎるくらいの一人部屋。中にいるのは寝たきりの少女。
あと、多分もう一人。今日もいるだろう。
控えめにノックして、返事が来ないのは分かっているから待たずに扉を開ける。
「来たよ、夕香ちゃん」
福島から稲妻町の病院へと夕香は移動してきた。
術後の回復は良好なのに意識が一向に戻らないらしい。
大きな病院で、様子を見ることになったのだ。稲妻総合病院が選ばれた理由はほかにもあるが。
ある種原因不明の昏睡で、このまま目覚めない可能性もあると聞いた。
新しい花を活けようと花瓶に手を伸ばす。水を新しくした方がいいだろう。
「修也くん、鞄見ててね」
ベッドの脇に置かれた椅子に腰かけて、一度もこちらを見ない修也に声をかけた。
花瓶を持って部屋を出る。水を入れ替えれるようなところは何処にあっただろうか。
俯き加減に階段を下りる。
修也が顔を上げないのは今日に限ったことじゃない。
夕香が事故にあったと聞いて福島の病院にお見舞いに行った時から、滅多なことがない限り病室にいる修也は顔を上げなかった。
面会許可が下りた時から、ほとんどの時間を夕香の病室で過ごしている。
初めのうちは学校すら行かずに面会に行っていたらしい。さすがに登校はするように注意した。
部活については、何も言えなかった。
あの日、大会の決勝戦の日から一度も部活には来ていないと二階堂監督に聞いた。
理由を問われて、話してはいけないかもしれないと考えながら、結局伝えてしまった。
大切な妹が交通事故に遭い、それを自分のせいだと思っているのだと。
もちろん、ちゃんと口止めはしてある。
きっと修也はどんな理由でも、決勝戦や仲間に背を向けたことを許さないだろうから。
尤も、今の修也にそんなことを考える余裕はなさそうだが。
小さく溜息をついたところで、背後から肩を叩かれた。
「ああ、すまない。おどろかせてしまったかね、ちゃん」
驚いて振り返った先には修也のお父さんが立っていた。
あまりに驚いた私に困ったようにおじさんは謝った。
ここはおじさんが務めている病院なのだ。夕香がここに運ばれてきたのもそれが理由の一つである。
「いえ、ちょっと考え事をしてたものですから」
苦笑して答える。
私が手に花瓶を持っているのを見ておじさんが廊下の先を指差した。向こうで花瓶の水を入れ替えればいいらしい。
花瓶の水を溢さないように頭を下げる。
歩き出すとおじさんも少し後ろをついてきた。態々呼び止められたし、何か話があるのだろう。
結局水場についてもおじさんは何も言わなかった。
この親子は似てるな、と花瓶から水を捨てながら考える。
誰よりも相手のことを考えられる優しさがあるのに、無口で責任感が強くて不器用で、あんまり人に伝わらないところとか。
「何かお話があったんじゃないですか?」
花瓶を濯ぎながら声をかける。鏡越しに戸惑った表情が見えた。
なるべく時間をかけて花瓶を洗う。
決心できるように、話しやすいように。
「すまないな、このところ毎日来てくれている」
「好きでやってることなので気にしないでください。妹みたいなものですから」
花瓶を軽く振って水を切る。滴り落ちる水で廊下を汚してしまわないように。
鏡は見なくても、おじさんが困っているのが分かる。
言いたいのはきっと夕香の事ではないのだろう。
雷門は一週間前から夏休みに入った。
木戸川清修も同じくして、夏休みを迎えた。
修也は毎日、夕香のお見舞いに病室へと足を運んでいる。
流石に福島から日帰り日参は無理だから、当然私の家にから通っていた。
別に問題はない。病院に泊まり込むとか言わなかっただけ上等だ。
そもそも、私がそう提案したのだ。両親は快諾してくれた。
「おじさん」
振り返って顔を見る。
困ったように眉尻を下げるおじさんを見て、私も困ったように笑った。
「修也くんのこと、怒らないでくださいね」
私が病院に通っているのは夕香が心配だからではない。
勿論気がかりではあるが、彼女は一年後に目が覚めるはずだ。
できる限り顔を見せに来るつもりではあったし、近場であるから多少安心しているのだ。
むしろ、夕香より修也の方が心配だった。
放っておくと面会開始時刻から面会終了時刻までずっとそこにいる。
稲妻町で他にすることがないと言えばそれまでだが、さすがにちょっと気持ち悪い。
それに身体的にも精神的にも、絶対によくない。
案内がてら、午前中は修也を連れ回して、お昼を食べたら病院に行くというのがここ最近のスケジュールだった。今日だけは例外であったが。
「病院に来るまでは普通なんです。あ、いやちょっと暗いけど」
睡眠も食事もしっかり摂るし、強引に案内だと言って街中を引っ張り回しても少し困った顔をするだけで文句は言わない。
私たちが心配しているのはちゃんと伝わっている。
それなら大丈夫だ。あとは修也自身が整理をつけるだけなのだ。
おじさんに背を向ける。
水道の蛇口をひねって花瓶の真ん中まで水を入れた。
「おじさんが修也くんを怒ったら、味方がいなくなっちゃいますから」
家族以上の味方なんてきっといない。
おじさんもそれを分かっている。でもそのせいで、こうして困ってる。
他人の子に迷惑をかけている家族の行為に目を瞑っていいのか悩んでいる。
だから今、私にそれを聞きたいのだろう。
表現がどうであれ、彼らはとても優しい人たちだから。
花瓶を手に取り振り返る。
今度は体ごと真っ直ぐおじさんに向き合って笑った。
「明日もまた来ますね」
(心配性なところもそっくり)
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20140510/訂正