がくん、と身体が宙に浮く感覚にしまったと思っても手遅れだ――通常の場合。
しっかりと掴まれた二の腕がじくじくと痛むがそうも言ってられない。
階段の上部から足を踏み外した私を支えた人物を振り返る。
顔なんて見なくても分かっている。大抵の場合に置いて、こんな時に私を助ける相手は決まっていた。
「ありがと、修也くん」
「気を着けろ」
ちゃんと両足を床につけたところで微笑んだ。それを確認して修也が手を離す。
表情筋は退化して仏頂面が常備になってしまったけど、優しいのは相変わらずなのだ。勿論、分かり難いのも兼ね備えている。
中学生になって修也は背がぐんと伸びた。
全体的に骨っぽくなって、つまりは成長期が訪れたらしい。ついにこの春の身体測定で私は身長を抜かれてしまった。
「今から部活?」
「ああ」
私を追い抜いて修也が階段を下りる。
数歩遅れて、私は修也の後ろを歩く。
今はもうさすがに手を繋ぐことはないだろうが、昔からこの位置にいたのだ。
前を歩く修也について行くのが私の定位置。自然と数歩後ろを歩いてしまう。修也も全然気にしないで、振り向きもせずそのまま歩いて、時々一緒に喋ったりする。
「じゃあ今日も音読会は私だけだね」
夕香は絵本が大好きだ。
一緒に読んで、小さな劇をしたりもする。それなりに感情をこめて読むので人数が多い方が楽しいのだが、修也には部活がある。
時々は早く終わったりするけれども、本当にごくまれな話。
フットボールフロンティアの予選決勝が近いらしく、特に練習に熱が入っていた。
当然、早い時間に帰ってはこれないだろう。
だから私と夕香の二人で音読会をする。
「すまないな、
「良いよ、今に始まったことじゃないし。夕香ちゃんは本当の妹みたいなものだしね」
夕香と私の年齢差で言うなら娘に近しい気もするが、そんなことは言っても仕方がないので黙っておく。
廊下をすれ違う人たちの声に紛れてしまわないように声を出す。
この時間帯は放下になるのでざわざわと騒がしい。
「大会が終わったらゆっくり遊んであげなよ」
「分かっている」
「むしろ先に遊び納めしておく?」
「馬鹿なことを」
呆れたように溜息をついた修也の背中を軽く笑って叩く。
今までは見に行くだけで参加できなかったフットボールフロンティアに今年は参加しているのだ。
勿論優勝を目指している。見た目にぱっとは分からないだろうが、相当熱くなっているようだった。
ここ数年はテレビではなく会場に足を運んでいた。
私の両親に付き添ってもらって、遠く離れたピッチの上で1つのボールを追いかけるゲームを見る。
今年は修也と隣同士で見ることはないだろうが、私も楽しみにはしていた。
「今年は一緒に大会みれないね」
「マネージャーにでもなればいい席で見れるぞ。勿論仕事もしてもらうがな」
「しつこい男は嫌われるよ、修也くん」
不満をありありと声色に乗せてうるさい、と言われてしまった。それがなんだかおかしくて笑ってしまうと笑うなと怒られた。
私の経験した中学生の生活とは似ても似つかないほど、色鮮やかな日常が今はとても楽しい。
初めはどうして私がとか、どうしたら戻れるかを考えていたけれど、年を追うごとにそう考える機会は減っていった。
「どうしてそんなに嫌がるんだ」
「修也くんこそ、手が足りてないなら私なんて入れても駄目でしょ」
は要領がいいから、どう考えても即戦力だろう」
「どうせすぐいなくなっちゃう戦力じゃあ、どの道駄目でしょって言ってるんだってば」
誰か手伝ってくれそうな人ちゃんと探さないとね、とあくび交じりに呟き伸びをする。
前方を疎かにした瞬間、急に立ち止まった修也の背中にぶつかり、奇妙な声が出てしまった。
怪訝そうな顔をして修也が振り返った。
「なに、どうしたの」
「どういう意味だ」
何を言っているのか、理解が及ばず瞬きを繰り返す。
質問を質問で返すなと言いたかったが、思いのほか真剣な目で私を見ていた。
結果、おうむ返しにどういう意味、と尋ねるより仕様がなかった。
、もう一度聞くぞ。すぐいなくなるとはどういう意味だ」
廊下の一角で修也と見つめ合って十数秒。
真っ直ぐに突き刺さる視線を真正面から受け止めて、というかぽかんと口を開けて真っ黒な瞳を見上げる。
顰められた眉の下で早く答えろと切れ長の目が言っている。
そんなことは分かっているけれども、今、私の脳内では大変なことになっていた。
メインを占めているものは、なんて言い訳をしよう。これに尽きる。
見つめるから、睨みつけるに視線の路線変更を果たした修也がおい、と小さく先を促す。
びくりと肩を跳ねさせて、私が視線を逸らす。
目に見えてわかるくらい顔色が悪くなっていそうな気がする。
「ご、ごめんね修也があのそのまさかそのあの、そんな知らないなんて思ってなくてだからあの」
わたわたと手ぶりを加えて言葉を探す。焦りすぎて敬称を付け忘れた。
流石に私でも怒るなあ、というようなことをしでかした。なんと言えばいいだろう。
私、フットボールフロンティア本選の開会式の日に引越しするんだよね。
なんて今更どう伝えればいいのだ。
開会式なんてものの数日後だ。
「落ちつけ、何を言ってるのか全然わからない」
大きく溜息をついた修也が視線を逸らした。
どうも怒ってはいないようだ。相当呆れているようだが。まだいくらかましだからいいけど。
勢いよく頭を下げる。背筋は伸ばしてきっちり九十度、直角を目指す。
それなりに長くなった髪の毛が舞い、勢いにつられてばさりと視界を埋め尽くした。
「詳しい説明の前に謝っとく、本当にごめん」
「とりあえず顔を上げろ。俺がやらせてるみたいじゃないか」
ちょっと焦ったように私の上体を起こさせる修也に素直に従う。
夕香の髪の毛を分けるときの様に丁寧な手つきで髪の毛を整えてくれた。
小さくお礼を言って自分でも髪の毛の流れを確認して、下ろそうと思った手を修也に掴まれた。
そしてそのままぐいぐいと引っ張っていく。
「え、ちょ、なに」
「ここじゃ目立つから向こうに行くぞ」
「修也くん、何か目立つようなことするつもりなの」
「馬鹿」
確かに人気はなくなっていてもここは廊下だ。いつ誰が通るかわからないところで騒ぐのはマナー違反だろう。
何処に行くのかだなんて分からない内からすでに、手を引かれ歩みを進めているのだから、分かったところで立ち止まることはないだろう。
修也の反応がどう出るか分からない今はより多くの言い訳、もとい納得させられる筋道を考えておくべきだと腹をくくる。




(ごめんね、夕香ちゃん。お姉ちゃんまだ家に帰れそうにないよ)






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20140510/訂正