私たちは小学4年生になった。
修也は随分前にジュニアサッカーチームに入って、今ではエースストライカーと呼ばれるまでの実力を身に着けている。
少し前には夕香という妹が修也にできた。生まれたばかりの小さくて、柔らかい掌を精一杯動かしている姿はとても愛らしいと思った。
とっても可愛い子に育つだろうね、と言えば修也は今でも十分可愛いと言い放ち、私は呆れたものだ。
実際に夕香はすくすくと、元気で愛らしく育っていた。
休日には一家で揃って犬の散歩へ出かけたり、修也のサッカーの試合を見に行ったりと、誰の目から見ても幸せなひとときであったように思う。
それから暫くして修也のお母さんは亡くなられた。理由はよく知らない。
その頃には修也のお父さんは家に居ることは少なくて、家のことは家政婦さんに任せきりだった。私のお母さんもよく家事を手伝ったりしていた。だから、修也のお母さんが亡くなっても突然生活に困る、ということはなかった。それがいいことなのか、そうでないのか、私には判断を付けかねたけれども。
私はできる限り修也の家の手伝いをすることに決めた。あまり公言することではないし、すると遠慮されるだろうからこっそりだ。多分気付かれているとは思うけれど。
学校にいる間は家政婦さんが、帰宅した後は私と修也が、修也がサッカーに行く時は私が夕香の面倒をみていた。
やろうと思えば、料理だって洗濯だって掃除だってできる。育児も修也を相手にしていた時と同じようなものだ。
それでも今の私は小学生だからできること、させてもらえることは限られていた。
限られた「させてもらえること」を精一杯やるしか、自分に出来ることはなかった。
そうしてようやく3歳になった夕香がくいくいと私の服の袖を引く。
微笑んでなあに、と尋ねた。
「おねえちゃんは、ゆうかのおねえちゃん?」
「どうしたの、急に」
幼稚園に通うようになった夕香は様々な疑問を投げかけてくるようになった。
空はどうして青いの、海はどうして青いの、お花がいい匂いするのはなんで、そういったものから定番の、赤ちゃんは何処からくるの、もラインナップに含まれている。
ああ、やっぱりどこの子供もそんな質問をするのだと私は思っていたのだが、修也の狼狽えっぷりはとても面白かった。
「あのね、まきちゃんがね、おねえちゃんはおねえちゃんじゃないって」
まきちゃん、というのはたぶん夕香の友達の名前だろう。
確かに私は夕香の姉ではない。私は夕香の兄の幼馴染だ。
こちらとしては顔も知らないような子供がよくそんなことを知っているものだと驚きが隠せない。
でもね、と困ったように夕香ちゃんが言葉を紡ぐ。
「ゆうくんはね、おねえちゃんじゃなくてもおねえちゃんになれるよっていうの。ゆうか、わかんなくなっちゃった」
ゆうくん、とはこちらも多分夕香の友達だろう。なれる、という風に言葉を使っている点からみて、随分とませた子供だ。
ここでまきちゃんがいう「おねえちゃん」は血縁関係上のものであろう。そしてゆうくんが言うのは、まあ、家系図上の話だ。
どちらも間違いではないのだ。特に後者は可能である事実の範疇を出ないわけだが。
「夕香ちゃん、二人とも間違ってはいないんだよ」
無意識に強調した、間違って「は」の存在に気付かなかった夕香の頭を撫でる。
夕香が心底不思議そうに首をかしげると、修也が丁寧に三つ編みしたおさげが揺れた。
「おねえちゃんはおねえちゃんじゃなくてもおねえちゃんなの?」
「私は夕香ちゃんの本当のお姉ちゃんじゃないけど、夕香ちゃんを本当の妹みたいに大好きなお姉ちゃん。それじゃ駄目かな」
「ゆうかを、だいすきなおねえちゃん……」
私の言葉を繰り返し呟き、夕香はにっこりと笑った。
そのまま全身を使って抱き着いてくる。いくら幼いとはいえ、それなりに体重と力がある。もう少し勢いがついていたら支え切れずに倒れる所だったが、最悪の状況だけは免れた。首と腰が痛いけれども、そんなことは些細なことだ。
「あのね、あのね!」
夕香が秘密の話をするように私の耳もとに手を当てる。
背中をとんとん、と叩きながら先を促す。
ぼそぼそと紡がれた言葉は夕香を抱きしめ返すのに十二分の威力を持っていた。
修也、呆れてごめんね。駄目だわ、夕香可愛すぎるわ。
将来が怖いくらいに素直で可愛い少女の小さな体をぎゅうっと抱きしめた。
サッカーから帰宅した修也に怪訝な顔をされる数分後まで、私は夕香を抱きしめ続けていた。
(ゆうかもね、おねえちゃんだいすき!)
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20140510/訂正