風丸は親切で頼りがいがあるが時折強引だ。それも、に対しては殊更。
すっかり暗くなった夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかないと、風丸はエントランスまでを送ってくれた。部屋の前まで行こうかと申し出た風丸を断って帰路につかせると、くたびれた体にもう少しだとエールを送ってエレベータに乗り込み、自宅のある階まで一気に昇る。
鍵を開けて中に入りただいま、と慣れた独り言とともに玄関の扉を閉める。しっかりと鍵をかけて靴を脱いだ。適当に脱いだ靴は揃わなかったが誰が困るわけでもないとそのまま部屋へ直行する。
「はあ、疲れた」
帰宅部女子に、整備された散歩コースのような道とはいえ山道は辛かった。
は制服を着替えることもせず、リビングに置かれたソファに身を沈める。自身が選んだわけでもないそのソファは色も形も手触りすら好みのもので、のお気に入りだった。
どうにも面倒なことになってしまった。
はソファに顔を埋めて大きく息を吐く。
事の始まりは風丸が部活の後に鉄塔広場へ行きたいと言ったことだった。
陸上部での練習が済んだ風丸は制服に身を包んで、とともに夕暮れの中を歩いていた。その時は、風丸は円堂の特訓を応援に行くのだろうと考えていた。鉄塔広場で円堂が特訓をしているのは、彼と親し人なら誰もが知っているであろうことだ。休みの日はもちろん、部活が終わった後でも円堂は鉄塔広場で一人特訓をしていることが多かった。円堂の馴染みであると風丸が一緒に発破を掛けに行くものだと思っていた。
それを風丸に問うと、風丸は少し首をかしげて思案する間を開けて返事をした。
「場合によってはちょっと違うんだが、まあそんなところさ」
「場合によって、ってところが個人的にすごく気になるんだが」
そういって風丸の顔を見ると、困ったように眉間に皺を寄せて、大丈夫だと笑った。何が大丈夫なのかよくわからないけれども、あれだけ周りのことをよく見る面倒見のいい風丸の事だから、大丈夫というなら大丈夫なのだろう。
はそういうことにして、風丸とともに鉄塔広場へと続く階段を上り始めた。
そこで風丸をしっかりと問いたださなかったところが今の後悔につながるわけだが。
「風丸、もうちょっと帰宅部に気を使ってほしいんだが」
同伴者に後れを取る形で鉄塔広場についたとき、予想の通りに円堂は特訓をしていた。ただ円堂より遠くを見ているような風丸を不思議に思って声をかける。風丸は何でもないと嬉しそうに笑って、それからは何度失敗しても納得がいくまで挑戦し続ける円堂の背中を見ていた。には皆目見当もつかないが、なぜだかタイヤを背負って、タイヤに飛ばされている。身体を痛めないかとても心配になる特訓だ。
しかしそれを見ていた風丸は無言で自身の鞄をに預けて円堂に近づいていく。タイヤに見事に飛ばされた円堂の傍に立つと呆れた様子で笑いかけた。実際に呆れているのは事実だろう。そして地に伏す円堂を風丸が助け起こす。
「風丸、も!」
「ずいぶんと無茶な特訓をしてるな」
頷いた円堂がベンチを指差して笑う。指差したベンチの上には円堂の荷物、そのうちの一つなのだろう古びたノートが置いてあった。
円堂がノートをつかみあげ、風丸に手渡した。ぱらぱらと風丸がノートを覗き込むのと同じようにもそれを覗き込む。
だがはそのノートを見て眉間に皺を寄せた。昼間見た風丸のノートとは雲泥の差だ。もうなんといっていいのか言葉すら見当たらない。
「読めねえ……」
風丸が呆れ返ってため息交じりに呟いた。も同意の意を込めて何度も首を縦に振る。
円堂はそうかな、と呟いてノートのあるページを指差した。の目には象形的な何かが、そこに時々棒人間のようなものを交えて、紙一面を自由に使って殴り書かれているようにしか見えない。そこの部分を指差して円堂が満足げに笑った。
「そこにシュートの止め方が書いてあるんだ」
「へえ」
風丸が興味深く頷くが、には到底納得のできない話だった。これが本当に文字で読解可能な文字だとするのなら、この文字は円堂言語の遥か上を行く新文明言語になってしまう。
風丸の隣でが苦い顔をしていることに気が付いていないのか、円堂がこのノートの筆者は自身の祖父だと言った。今はもういないけれど、ものすごい監督だったらしい。
そのものすごい監督が考えた特訓方法がタイヤだというのだから、にはサッカーのことはまだまだ理解できそうになかった。どんな効果があるのだろうと考えるのは楽しいが、やってみようという判断にまではたどり着かない。
「帝国学園は想像以上に強いと思う。そいつらの技を止めるためには、特訓して技を身に着けないとダメだと思ってさ」
円堂は本気で帝国学園との練習試合に勝つつもりらしかった。どんなに実力差があっても努力で何とかなると心から信じており、そして勝利を手にすることができると信じているのだろう。そうでもなければこんなに無茶な特訓をしたりはしない。
何か裏がありそうで仕方がないその練習試合をはあまり歓迎していなかったのだが、それを円堂に伝えるには情報が少なすぎて決め手に欠ける。それに伝えたところで円堂が試合を棄権するとは思えなかった。サッカー部の存続の危機だというだけでなく、円堂が売られた勝負に背を向けるような性格ではないからだ。
「本気、なんだな」
風丸が念を押す様に尋ねる。円堂がまっすぐ風丸を見て頷いた。
小さく息を吐いた風丸が円堂に手を伸ばす。円堂は風丸の顔と手を交互に見て首をかしげた。
これはとても嫌な予感がする。
は風丸から距離を取ろうとしたが、一歩ほど離れたところで風丸の腕に阻まれてしまった。しっかりと腕をつかまれている。
ちょっと、と抗議の声を上げてみたがてんで相手にされなかった。円堂も風丸もの扱い方を知っている。本当に本気で嫌なら全力で振り払ってでもこの場を立ち去ろうとするはずだし、そうであるなら二人も無理強いはするつもりはなかった。つまり、は押せば引くと思っているのだ。そしてそれはあながち間違いではない。
「お前のそのやる気、乗った」
「ありがとう、風丸! も!」
円堂は伸ばされた風丸の手と逃げることのできなかったの手をつかんで上下に振った。
その勢いに押されそうになりながらもが否定の意を込めて掴まれた手をするりと解き放つ。ついでに風丸の腕からも逃げ出すことに成功した。
「ちょっと待て、私はやるなんて言ってないぞ」
「大丈夫だ、仲間はずれにはしないさ」
「大丈夫ってそういう意味か!」
何言ってるんだ、と円堂が首をかしげた。そして風丸が背後の茂みに声をかける。
そうすると茂みの中からサッカー部のメンバーが続々と顔を出してきた。きっと円堂が特訓しているのを見ていたのだろう。円堂の直向きさに感化されたのかもしれない彼らもまた、帝国と戦うために全力を尽くすと結束し、ともに特訓を始めた。
ここまでを振り返ると完全にイイハナシである。
バラバラだった仲間の心が大きな敵に立ち向かうことで一つになるだなんて何とも素敵なストーリじゃないか。
ただし、そこに自分が組み込まれていないならの話だ。は今の今まで鉄塔広場で行われていた特訓の数々に付き合っていた。時間があると言った以上は付き合うのが筋というものだ。大したことはしていないが、おかげで相当筋肉痛だ。
別に部員になれって言ってるわけじゃないだろう、少し手伝ってほしいだけさ。とは風丸の言で、確かに部員になるわけじゃないが、部の仕事を何もしないのに首を突っ込むのは責任感に欠けるのでは嫌いだった。何かアクションを起こすならちゃんと責任を持ってやりたいと思っている。だからサッカー部の問題に、いくら友人の頼みだからと言って首を突っ込むのはごめんだった。というか何に置いてもまず面倒だ。
ごろりとソファの上で上手に体制を変える。天井を仰ぎみて電気すらつけていなかったことに気が付いた。
だめだ、これはよっぽど疲れている。風呂は明日入ろうと決意を固め、はそのまま深い眠りへと意識を追いやった。
その後しばらくしてインターフォンがなったことには、当然のごとく気が付かなかった。




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