それから数日が経った日の事だった。 いつもの様に自分の教室の扉に手をかける。力を込めることなく軽い音を立てて開く扉の向こうで、円堂と木野が談笑していた。
おはよう、と声をかけると二人はの方に向き直り、零れんばかりの笑みを浮かべて返事をした。相変わらず元気な二人だと苦笑をこぼすと、妙にソワソワしている円堂が、聞いてほしくて堪らないと声を上げた。
! オレ昨日スッゲー奴をみたんだ!」
オウム返しには、凄い奴、とつぶやくと、荷物を机の上に置いて円堂に向き直る。木野が楽しげに笑っていた。
昨日見たものに、いまだ興奮の冷めない円堂に続きを促すと、嬉しそうに頷いて言葉を続ける。
「たぶんストライカー! スッゲー威力だったんだって!」
そのあとは円堂特有の、擬音語交じりの説明が続く。余談だが、はそれを円堂言語と呼んでいた。
木野が困ったように眉尻を下げて、それでも嬉しそうに言う。
「円堂くん、今日その話ばっかりなのよ」
「よっぽど気に入ったみたいだな」
呆れたようにがため息をついた。
おそらくストライカー、まあ円堂がいうならきっとストライカーなのだろうそいつは、あっという間に円堂のサッカー魂に火を着けたらしい。取りつく島もなかったと言っているけれど、きっと円堂は意地でも入部させるのだとは確信していた。それほどまでに円堂はサッカーのことになるとしつこいのだ。
「あ、ちゃんは知ってるかな」
木野が小首をかしげて尋ねる。がその内容を視線だけで促すと、木野は笑顔で話し始めた。
内容は単純で、このクラスに転入生が来るらしい。一体誰がどこで入手したのか分からないが、噂になっている様だった。
木野は楽しみだ、といった風で「男の子かな、女の子かな」と笑っていた。
ちゃんはどっちだと思う?」
「分からないな。正直あまり興味はない」
「うーん、そっかあ」
愛想のない返事だったが、木野は気分を害した様子もなくにこにこと笑っていた。
初めて会った時から思っていたことだが、木野はよく笑っている。
「円堂くんと同じクラスの、木野 秋です」
そう言って頬笑んだ木野のことは、まだはっきりと思い出せた。
何せ木野に出会ったのはほんの数か月前のことだ。雷門中に入学して、半年と少しが経過した頃のことで、風丸は陸上で記録を伸ばし続けていた所だった。その頃サッカー部は部員数が3人、マネージャーの木野を含めても4人しかいなかった。
風丸が円堂を気にかけ、度々サッカー部を訪れたりして、極稀にもそれに同伴した。そこで少しだけサッカーの練習に付き合って、適当な時間にそこで別れる。
そういうことが何度かあって、も木野も互いに顔を覚え、適度に会話もするようになった。だからまだ、お互いのことは何も知らないに等しい。
遠慮がちながらもよく「さん」と声をかけてくる木野に、敬称は苦手だからつけなくていいと伝えれば、どうしてだか「ちゃん」と呼ばれるようになってしまった。もちろんそれも断ったのだが、それならば下の名前で呼んでもいいかと問われて言葉に詰まった。渾名も敬称も名前呼びも、全部が慣れない、苦手なことだったから。それでもきっぱりと断れなかったのは、偏に木野が困った顔をしていたからだろう。
しかし、まだ呼び名の変更を諦めたわけではないのだ。
「いい加減にその、ちゃんってやめてほしいんだが」
「あら、いいじゃない」
ふふ、とかわいらしく笑う木野はとてもかわいい。ただそれも時と場合によっては最強の破壊力を伴って、反撃の術を奪い取ってしまうものだった。木野がどうこう、という話ではなく、単純にの問題だった。は女子に対して強く出ることができないのだ。にとっての女子というものは、自分とは別次元に存在しているものだった。華奢でかわいらしい、そういった対象だった。
ちなみに、当初木野が、私のことは名前で呼んでくれ、と言った時も心苦しいながらに断った。他人との距離を詰めることが単純に苦手なだけで、嫌っているわけじゃないんだと説明したのも記憶に新しい。
気付けば教室のざわめきは大きくなり、時計を見上げるとホームルームの始まる時刻が近づいていた。
転入生との対面は、間近。



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