うわあ、しまったなあ。なんて、思ってみたところでもう遅いのです。
できることならくるりと背を向けて、さらに言うなら猛ダッシュでここから立ち去りたい思いでいっぱいいっぱいになりながらぺこりと頭を小さく下げた。
まさか上官の下へ資料を届けるという簡単な任務がこんなにも過酷なものになるとは思いもしなかった。
部屋の入室後うっかりかち合ってしまった視線をすぐさま気取られないよう細心の注意を払いながら逸らし、目当ての人物がいるであろうデスクに視線を向ければそこはもぬけの殻だった。
「上官なら、つい先ほど席を外された。すぐお戻りになられるそうだ。ここで待つようにと伝言を賜っている」
「……あっはいっ」
かけられた言葉に過剰に反応し、自分で閉めた扉にガタンと背中をぶつけた。
しまった、と再び自分の迂闊さを恨みながらちらりと相手の顔を伺った。
既にそらされた顔にホッと安堵しつつ、特に眉間にしわが寄っているだとか、口がへの字に曲がっているだとか、そういう不快の感情をあらわにしていないことを確かめた。
細々と溜息を着いて肩を落とす。
最近、こういう事が多い。
上官の不在ではなく、この人物とよく鉢合わせる。
それは全くの偶然で相手にとっても仕方のないことだと思うのだが、いかんせん私はこの人物が苦手だ。
苦手に思われている相手とよく顔を合わせ、時には今のように二人きりになる事もあるこの人物もきっとおそらく気まずい思いをしているのだろう。多分。そんな素振りを見た覚えは全くないし、噂に聞いた事もないけれど。
というか、うろたえるこの人物を見た事がある人はきっとそういない。
成績優秀で教師陣からの信頼も熱く、上官のお気に入りかつ軍の上層部からも目をかけられている期待の新人。
眉目秀麗な見た目に女子はもちろん、誰に対しても贔屓しない姿勢が男子からも好評を得ている。
よく仲良くしているのは同じく見た目よろしく頭もよろしいという、成績トップの座を争いに争って、というか首位強奪線に連戦連敗を期しているミストレーネ・カルスさん(こういうことは口に出して言うと彼の親衛隊の女子が怖いので思うだけにとどめているが)。さらに、討論はお手の物、どちらかといえば戦闘術よりも戦略を練る方が向いているエスカ・バメルさん。天は二物も三物もついでに四物も与えちゃったんだよ系男子が、私の苦手とするこの人物――バダップ・スリードだ。
前述二人を差し置いて、学年トップの成績を誇る彼はどうにもこうにも目立つ。そして仲の良い二人も目立つ。
つまりそんな目立つ三人組がいると目立つのだ。否が応にも目立つ。とても目立つ。かーなーり、目立つ。
どちらかといえばなんてまだるっこい言い回しをする必要がないくらいに私は目立つのが嫌いだ。
中肉中背(スタイルも取立てていいわけではない)、家柄も中流(とはいえ学園を出れば上流の分類に入る)、顔だって二〜三度あったくらいでは覚えられないくらい特徴がないと自負しているし(頭のいい彼にはしょっぱなから覚えられていたが)、成績も中の上〜上の下と教師からも生徒からも目立たないあたりに位置し(全体的にA評価だ。そしてそれが普通だ)、彼らの取り巻きの背後に映るモブBの背景くらいのポジションにいてもやぶさかではないと常日頃から思い、微々たる努力を積み重ね、この学園に入学させられ疾二年。ようやっと自分のおちつくポジションを取得出来たと思った矢先に起こるこの悲劇。
「……おい」
「ひぇ!」
かけられた声にびくりと肩を跳ねさせ一歩後ずさると再び背中を扉にぶつけた。
少しばかりつり上がった彼の眉に冷や汗を流しながらおずおずと重心を後ろに移動させる。といってもすぐ背後に扉があるので大した距離が離れるわけでもない。
「立っていないで座ったらどうだ。上官も持て成しておくよう言い残した」
「はひ、あの、えっと」
バダップ・スリードはテーブルの上に置かれたティーセットに紅茶を注ぎ、クッキーの並べられた皿を少しだけ私の方へずらしてみせた。
あの上官は上官らしからずフランクで突飛で奇抜な変人だ。電子社会な現代に置いて紙媒体の書類をこよなく愛しそして要求してくるような人物だ。仕事は出来るのに電子媒体の資料が届くと不服をあらわにしそっぽを向いて執務室から誰にも気取られずいなくなるという事件を巻き起こした人物だ。面倒な人間だという事がきっとよくわかってもらえると思う。仮にもとっても偉い上官様なので口外すると立場はなくなるのが分かっているから誰も言わないが誰もが思っている。
その上官宛に誰の手も経由させず届ける書類がこの手の中に有り、確実に上官に手渡さなくてはならないもので、すぐに戻ってくるからここに留まるよう言いつかっていて、そしてもてなすよう彼には言いつけて出ていった。
ここで問題です。私の実行すべきことはなんでしょう。
その一、書類を置いて退室する。
バダップ・スリードなら上官の書類を盗み見することはないであろうし、したところでおとがめがあるとは思えない。あるとすれば……私にだ。却下。
その二、出直すと言って退室する。
上官が私をこの部屋に留めるようバダップ・スリードに言いつけているので、それに逆らう事になる。バダップ・スリードがもし私が退室する意向を感じ取れば実力行使でもその場に留めるだろう。足の骨の一本や二本や三本は捨てる覚悟がいるし、退室する事は不可能だろう。却下。
その三、バダップ・スリードのいうように勧められた茶と茶請けを享受する。
私の精神と今後の生活が保証されない。却下。
その四、このまま扉の前で上官の帰りを待つ。
先程のバダップ・スリードの行為により大変心苦しく息苦しい空間になるだろうが前述のどの選択肢よりよっぽどマシな行動であると思える。
私は決意を固めた。
ノーと言える日本人に、私はなる。
「すまにゃいにょですが」
噛んだ。し、裏返った。
くっそ恥ずかしいし目も当てられない。
バダップ・スリードも少しだけ目を丸くしているくっそレアリティ高い表情だなあこんな時にしなくてもいいじゃないかこのやろー。
手に持った書類で顔を隠す。封筒に入っているから内容がバレる事はない。
「お前は――」
バダップ・スリードがそう言ったところで扉が開いた。
体重を扉に預けていた私は普通に傾いて、扉を開けた人物にぶつかる。
軽々と私の肩を支えてみせたのは目的の人物である上官様だった。
「あれ、こんなところ突っ立ってないで紅茶飲んで待っててくれればよかったのにー」
ちょっと間延びした感じに笑って私の手から書類を抜き取った上官様はニコニコしたまま、私の頭をぽんぽんと叩いて定席に着いた。
バダップくんも女の子の扱いがなってないなあ、なんてバダップ・スリードを茶化しながら封筒ののりをペリペリとはがしていく。
じっとりした目が私へ向けられていて、慌てて視線をそらす。
「し、しつりぇいしみゃす!」
大きく頭を下げながらそう言って私は部屋から転がり出た。
「それで、ちゃんと話は出来たのかい?」
「……なんのことです」
「いやはや、気付かれてないとでも思ってたのかい。バダップくんも中々なニブチンだね」
「…………」
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