瞬木隼人。
陸上部のなんちゃらっていう大会に出たことがあるって聞いた。
私は陸上競技に興味がないから、詳しくは知らないけれどなにやら大きな大会だったらしい。
なにかの章をもらった。毎月恒例の体育館集会のあった朝、そんな話を聞いた。
どうにも噂になっているのだが、なんでもかっこよく、人あたりのいい、面倒見のいい少年だとのことで。
そこかしこで耳にするので知ってはいるものの、やはり興味のない話だった。
その日の集会も特に気になる話はなくって、いつもなら関係のない誰かの栄光なんて耳に入っているかも怪しいくらいの。
それでもなぜだかそこだけは覚えていて、何度めかのあくびを手でおおった時に集会は終わった。
いつでもポケットに忍ばせている、一個当たり20円ほどのチョコレートをひっそりと口の中に含んで、包み紙を廊下に小さく丸めて捨てた。
いつもの、なんの変哲もない、なにも関係のないちょっとした学校の有名人と、私の日常だ。
関係のないことだと、放っておけなくなったのはとある水曜日の放課後直前だった。冬の、それなりに寒い日のことだった。
あとは終礼を済ませて帰宅、となる寸前に、数人組の女子グループに呼び止められた。移動教室からホームルームに帰る途中だった。
「ねえ、瞬木くん、呼んでよ」
首をかしげて、口を開いて、それから私はこういった。
「……だれ?」
なぜだかリーダーっぽい女子はその途端に怒った様子で、眉尻を釣り上げて睨みつけてくる。
「ふざけないでよ、あんたの隣の席の、瞬木隼人よ」
隣の席。マタタギハヤト。
窓際の、後ろから二番目。私の席。その隣に座る人物はひとりしかいない。
そう言えば、そこに座る男子はそんな名前だったような気もする。
女子グループにちいさく頷いて、教室へと足を踏み入れた。
自信の席に戻れば、少し背の高い、茶色のくせ毛が印象的で、うさんくさい微笑みが妙に似合う男子がカバンにノートや教科書を片付けていた。
「またたぎはやと」
私はちいさく声をかけた。
ちゃんと聞こえたようで、顔を上げた彼はぐるりと辺りを見回して「きみ?」と私に視線を合わせる。
隣の席になってから、というか同じクラスになってから一度も話したことのない私が、話しかけてくるとは思っていなかったのだろう。
そもそも、私はあまりクラスで何かをしゃべるようなタイプの人間ではないから、声を初めて聞いたのかもしれない。
こくり、と頷き返し、廊下を指差す。
「待ってるのがいる。呼んでって言われた」
ふうん、と頷き、頭をかきながら彼は椅子から立ち上がった。
しばらくして帰ってきた彼は、手に小さめの紙袋を持っていた。
うっかり私と視線を合わせてしまった瞬木は、困ったように紙袋を持ち上げて、微笑んだ。
「もらっちゃった。今日ってバレンタインだったんだな」
ちらりと黒板を確認する。たしかに日付は2月の14日だった。
瞬木隼人はどうにも、女子生徒にもてるらしい。
白々しく「うわー、うれしいな」といったそいつに、ポケットの中にあった四角い包を投げつけた。
やはり嘘くさく「いてっ」と言ったそいつは包が落ちるのを咄嗟に手のひらで受け止めた。
「偶然持ってた。来月に三倍返し」
鳩が豆鉄砲を食らった、というのはおそらくこんな表情なんだと思いながら私は教科書を詰め込んだカバンの口を閉めた。
頬を指で少しかいて、瞬木隼人は「ありがと」と呟いた。
小さな声だが確かにそう聞こえた。
寒い冬の日の、水曜日だ。
戻る