ふよふよと浮くカップを視線だけで追いかける。
続いてティーポット、シュガーポットにミルクがあとを追いかけていく。
彼女は窓辺に引き寄せた椅子に腰掛けて、窓から外を眺めている。
「飲み物くらい、自分で淹れるべきではないだろうか」
「あら、アルファ、私、自分で淹れているわ」
指先ひとつ、動かす事無く彼女はカップに紅茶を注いでいく。
波々と注がれた琥珀色の液体は零れることなく、それを受け止めたカップはいまだ宙を彷徨っている。
「あなたも一杯いかが?」
「NO。水分補給は済んでいる」
「あら、連れないのね」
気に留めた様子もなく、彼女は笑ってカップを引き寄せた。飲むときは手で持つらしい。
色白の華奢な手が、白いカップの取っ手を包んでいる。
彼女はフェーダと同じ能力を持つ。
次世代遺伝子を持った、超能力者だ。しかし彼女はフェーダに所属することもなく、時折ふらりと姿を見せる。
彼女の能力の前ではどんなセキュリティも意味をなさない。
それを彼女に言えば「能力だけで入り込めるような場所ではないでしょう」と顔を顰められたが。
「お前は何のためにここへ来る」
「あなた、その質問が大好きね」
休憩室の備品を好きなように使い、好きなだけくつろいで帰っていく。
彼女の侵入に対して攻撃をした警備ロボットなどは機能停止に持ち込まれていたが、基本的に物は壊さないし誰に被害を与える訳でもない。
最近では議長も容認しているようだった。彼女に反逆の意志がない事が手に取るように理解できるからだろう。
しかし放っておくこともできず、アルファは彼女が現れるたびに彼女の見張りをする羽目になるのだ。
アルファの仕事自体はほかの人間で賄えるが、アルファは自身の仕事を誰かに押し付ける状況が好きではなかった。
上の人間や、アルファと同系統の称号を得ているベータ、ガンマなどからは早く彼女の目的を探れと言われ続けている。
しかし何度問うても彼女の答えは分かりなどしないのだ。
プロトコルオメガの人間は早くフェーダを倒して、平和な世の中を維持しなくてはならないのだ。
危険思想は放置しておいてはいけない。
もうすぐ何らかのミッションが始まると聞いている。詳しくはまだ知らないが、請け負うのはアルファだと言われた。
彼女がカップを置く。置くと言っても空中に、さも机があるように置くのだから違和感がぬぐえない。
くすりと笑った彼女が立ち上がった。
「彼の思想が間違ってるとは言わないけど、あなたたちの思想が合ってるとも言えないわね」
まるで考えを読んでいるかのようなタイミングにアルファは眉根を寄せた。
その様をみて彼女は殊更楽しげに笑みを深める。
「怒ったのかしら」
「NO。だが親しき仲にも礼儀ありという」
「あら、私たち、親しかったのね」
彼女はがちゃんと音を立てて窓の鍵を開けた。もちろん、手など使うはずもない。
そのままきぃ、と鈍い音を立てて窓は開いていく。彼女は窓枠に腰掛けて、真正面にアルファを捉えて目を細めた。
「私たち、まだ自己紹介だってしていないというのにね」
そして彼女がそのまま重心を後ろに倒す。
長い髪の毛が動きに従って大きく流線を描いて、くるりと彼女のブーツが弧を描き、窓枠の向こう側へと姿を消した。
一瞬心臓が冷えたのは仕方がない。彼女があれで怪我すらしないことは分かっていることだが、人が窓から向こうへ姿を失くすシーンなど何度見ても慣れるはずがなかった。
初めは窓際に駆け寄ったことなど、遠い昔の事のようで、それでも思い返せば少し前の事だ。
アルファは静かに窓際に歩み寄ると開け放たれたままの窓に手を掛けた。
真っ青な空を少し眺めて、それから窓に施錠する。
「議長に報告せねばならない。此度も彼女の目的は不明」
名前すら知らない彼女の素性はもちろん知らない。何のためにこの場に現れるのかなど知る由もない。
それでもアルファと顔を合わせるたびに楽しげに微笑む姿は、仕事の邪魔になるとしても嫌いになる事はないものだった。
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