出入り禁止も愛の形だって
夏の風が吹き抜ける。
珍しく今日は練習が休みになっていた。それでもあのキャプテンたちは自主練習をするという。
俺はと言えば剣城を特訓に同伴させ、GKとしての腕を上げるつもりでいた。そうつもりでいたのだ。
俺が声をかけると剣城は、申し訳なさそうに目を伏せて「すまない、今日は兄さんに会う約束をしているから」と言った。早めに切り上げて帰ってくるからそのあとでもいいならとも言っていた。
仕方なしに俺は一人でマシンを相手にGKの特訓をしている。
日も高くなった頃合いだろうか。一人の少女が、とはいえ井吹と同じ年頃で、井吹が少女と称するほど幼くはないのだが、グラウンドに立つ井吹を見ていた。
いつからいたのだろうか。井吹は首を傾げた。
まだ夏に足を踏み入れたばかりのこの頃は暑い。それなのに少女は帽子もかぶらず、手荷物らしきものは紙袋一つ。日の良く当たるグラウンドの端に一人立っていた。
「おい、何をしている」
井吹は声を上げた。
少女が肩を跳ねさせた。
内心で舌打ちをして井吹は視線を逸らした。そのつもりはないのだが語気が荒いと言われる。そして目つきが悪いとも言われる井吹は、本人にその気がないのに同年代の女子から怖がられた。
今回も、少し遠い位置にいるからと大きな声を出したのが失敗だったのか、それとももう改善の仕様がないのか、少女を怖がらせてしまったようだ。
「黙っていないで何か言ったらどうだ」
またしても言葉の選択を間違えた。
悪気があるわけではないのだが、井吹は表現力に乏しいことを自覚していた。
しかしこれにはきょとんと目を瞬かせた少女が、ひらひらと手を振る。
井吹は眉間いっぱいにしわを寄せた。
少女は振っている手の動きを変化させた。どうもこちらへ呼んでいるらしい。
疲れている井吹は、グラウンドに彼女を呼び込む。しかし彼女は首を横に振り、また手でこちらを呼び続ける。
「きみって、井吹くんだよね?」
「ああ、それがどうかしたのか」
隣に立つなり少女はにこやかに、背の高い井吹を見上げるようにして話しかけてくる。
井吹は溜息をつきたい気持ちでいっぱいだった。
月山国光にはいないタイプの女子だと嗅ぎつけたのだ。こうも分かりやすく媚を売る人間は男女問わず苦手だった。
「井吹くんはシン様の事が嫌いなの?」
「なんだそれは」
「シン様はシン様よ。ね、嫌いなの?」
シン様とはいったいなんだ。
そっくりそのまま思った通りに尋ね返す。
虚を突かれたのか少女は口を開け閉めして、そして息を吐いた。
「そっか、雷門じゃないと通じないのね。うっかりしていたわ」
「雷門? お前は雷門の生徒なのか?」
少女を頭からつま先まで眺める。
一巡して帰ってくるときには少女が謎のポーズをとっていた。
「……なんだそれは」
一言一句たがえず訊き返す。ニュアンスがかなり違っているが伝わっただろうか。
少女はくるりと一回転して見せてもう一度ポーズをとった。
色素の薄い髪の毛が動きに合わせてたなびく。
「何って、見られているなら魅せつけなきゃでしょう?」
とびっきりの笑顔とでもいうのか、井吹にはさっぱり理解が及ばないが少女は楽しそうに笑っている。
井吹は溜息をついた。今度は何の遠慮もなく盛大についた。
「なによ、溜息なんて付いちゃって。私の美しさに言葉も出ないってわけ?」
少女がばさりと髪の毛を払いのける。確かに日の光が反射してきれいだ。きれいだが、腹が立つ。
井吹の眉間にしわがくっきりと刻まれる。少女はからからと笑ってそこを指でついた。
「あ、そうそう。本題に戻すわよ。シン様――て雷門中学校二年の神童拓人様ね。シン様のこと嫌いなの?」
「神童拓人ぉ?」
思っていたより低い、唸るような声が出た。
はっとして少女を見る。どんなに変な奴でも相手は女子だ。泣かせたら立つ瀬がない。あとが怖い。
であったばかりの少女にそれだけ気を使う意味も分からないが、女子は怖いと南沢が言っていた。
他の何は置いておいても女子に関する事だけは南沢に絶対の信頼を置いている。女子は泣かせるな。これは教訓だ。
予想に反して少女はまた笑っている。
己が予想がはずれていいのか悪いのか分からないまま井吹は少女を見ている。
少女がけろっと井吹に問うた。
「ね、何度同じ質問をすればいいのよ。きみはシン様の事が嫌いなの?」
「……あ、ああ。嫌いだな、あんな奴。何様のつもりなんだ」
「シン様よ」
そうじゃないだろう。絶対、そうじゃないだろう。
井吹は頭を抱えた。
この女、何かがとかいうレベルじゃなく頭がおかしい。
延々と神童のいいところを話し続ける少女が遠く見える。実際に現実距離が遠ければどんなによかったかと井吹はぐっと拳に力を込めた。
「ああ、でもさすがシン様よね、本当にさすがだわ。きみにこの紙袋の中身をシン様に届けてもらおうと思っていたのだけど。嫌いならほかの人を探すしかないわね」
紙袋の中身が捨てられるだなんてことにでもなったら大変だわ。
少女はそういってため息をついた。
いくらなんでも人様から預かったものを捨てはしない。どんな発想で生きているんだこの女。
井吹は自身の中で、目の前の人間が少女から女に変化したことには気付いていなかった。
「自分で届けに行けばいいじゃないか」
特訓なんかよりもよほど疲れた井吹が吐き捨てる。
少女がぱちぱちと瞬きを繰り返して、溜息をついた。
「そ! れ! が! 私ってば出入り禁食らってるのよ!」
「でいりきん……?」
そんなものがあったのか。
いや、確かに大会に出場している選手の宿舎等々、一般の人間が入ってきてはいけないから入場禁止はされているだろうけれど、そうではなく出入り禁止されているという。
「シン様直々に出入り禁止言い渡されちゃって……まあ雷門にいたころからサッカー棟の出入りは禁止されてたんだけどね。霧野くんにも禁止言い渡されてるし……私が入っていいのはグラウンドの芝が生えているところから5メートル向こうまでなのよ」
先ほど井吹が呼んでも入ってこなかったのはそういう理由があったのか。
まったくもって理解できないが、神童の言ったことを忠実に守っているらしい。それも神童のいないところででもだ。
頭がおかしいという認識は変わらないままだが井吹はその真面目さにだけは好感を持った。けっして関わりたいとは思わなかったが。
因みにこの女が言うにはグラウンドよりも内側に入ってくることは禁止されているらしい。
このエリアのこのグラウンドは最も手前にある。つまりそれより奥にある宿舎エリアにこの女は足を運ぶことができないのだ。
毎度毎度神童が奥のグラウンドを使う理由が分かったような分かりたくないような。神童の事など理解したくもない。
「俺がここで練習をしていなかったらお前はどうするつもりだったんだ」
今日は剣城が帰ってくるのがいち早く見つけられるように入口側のグラウンドを使用していた。
まったくの偶然なので日が違えばここには誰もいなかった可能性だってある。
「そうねえ、どうしようか考えて途方に暮れていたんじゃないかしら」
この女は馬鹿だ。
井吹は無意識に胃の辺りを抑えた。
このくそ暑い日に誰かが通るまで待ち続けるつもりだったのだろうか。それならもっとそれらしい恰好で来ればいい。せめて飲み物を用意して来い。
見ず知らずの女の心配をしながら井吹は舌打ちをした。
「因みにシン様のどこが嫌いなの?」
井吹に荷物を預けられないと知った女は態度をころっと急変させて見上げながらも見下すという器用なことをしでかした。
大変に腹が立つし面倒くさい。殴っても怒られない気がする。
再びぐっと拳に力を込める。なけなしの精神力で殴り掛かるのはこらえた。
剣城、早く帰ってこい。お前も雷門の生徒だろう。この女を何とかしてくれ。
井吹は今までで一番強く剣城の存在を願った。
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