尾刈斗中との試合に向けて士気を挙げて特訓に励むサッカー部。真面目に取り組んでいるその光景はいい方向に向かっているとは感じていた。といっても1部との温度差が激しいところが気にはなるが。気付けば試合も明日に迫っていた。
今日も河川敷で特訓をするのだと言って意気揚々と学校を飛び出していった円堂たちを見送ってため息をつく。
何処の誰かは知らないが、いい練習相手が見つかったらしい。今の円堂たちは技術がどうという問題にすら達しておらず、単純にスタミナ不足が目立っている様に感じる。少しでも体力をつけてもらいたいところだ。
そこまで考えては本を閉じた。図書室に揃っていたサッカー関係の本は、これで大方読み漁って読破してしまった。基本的な知識はこれで大丈夫だろう。あとは実際プレイしているところを目で見て確かめるほかあるまい。
本棚に本を返すべくずらりと並んだ背表紙を目で追いかけていく。入っていたところに戻すのがマナーだ。もちろん「使った時よりきれいに返す」が公共物を使うときの決まり事なので最低限の範囲正しい場所に戻すことにしている。大抵の場合は図書委員の人が綺麗に整備しているから、めったに見ないのだが、たまに違う場所に入っていることがある。そして今日はそのたまに、に遭遇したようだった。たくさんの本の隙間に挟まっているものが目に入った。
少し引っ張ってみたが簡単に取れそうにない。は周りの本をすべて抜き出し、背後にある机に置いた。結構な数の本を抜き出してしまった。普段だれも使っていないのだろうか、あまりにきっちりと詰められていて、本を取り出すだけでかなり疲れた。なにせ1冊抜くのにまとめて3冊くらい抜かなければならなかった。そして倒れたり落ちてきたりする本をすべて除けると、本棚の数十センチほどが空洞になっていた。
はため息をついて、本の隙間から飛び出ていた紙を手に取る。
「なにこれ」
どこかで見た様な、見たことないような。
4つ折りになっていた紙切れは、開くと中に何かたくさんのものが書き込まれている。ずいぶんと古いものらしく、紙の端は丸くなり、ところどころが裂け今にも千切れそうだった。無理に引っ張っていたら破れていただろう。紙自体も日焼けしているから、ずっと本棚にあったわけではなさそうだ。図書委員の人に尋ねてみて、持ち出していいものならどこで見たものだったのか自宅でゆっくり考えよう。
は紙切れを机の上に置いた。考えるのは後にして、まずは本を片付けるべきだ。机に背を向け本棚に本をしまっていく。
半分ほど仕舞ったところで、背後にばたばたと足音がして、気にも留めず作業をしていると肩を叩かれた。予想の範疇外にあった驚きのあまり、分厚い本を落とすかと思った。振り返ると本を1冊手に持った、というよりに掲げた生徒が嬉々として名はしかけてくる。
「ねえ、これ、これきみ借りるの?」
「借りないが」
「じゃあ借りて行っていい、この辺の本も!」
「それは図書委員に訊いてくれ」
眼前ぎりぎりに本を差し出されて若干のけぞる。そんなことは気にも留めずに相手は喋る。顔は見えないが、おそらくは男子生徒だろう。が頷いたのを見たが速いか、急いで本を抱えると来たとき同様、ばたばたと足音を立てて本棚の陰に姿を消した。
なんだろう、本の出し入れより疲れた。
ぼんやりと彼を見送って、本の片づけを再開する。大方の本は彼が持って行ってしまったのでほとんど仕事はなくなったわけだが。
最後の本を詰め終えて、はたと我に返る。さっきの紙がない。彼が一緒に持って行ってしまったのだろうか。
もとよりのものではないし、どこの誰が持って行ったかも分からない紙切れを追いかけようとは思わなかった。
「まったく、図書室では静かにしてほしいものだわ」
「きみは図書委員会の人かな」
仕方ない、思い出すのは現物を見なくてもできると思い、図書室を退出するべくカウンターの横を過ぎる。
その時、ため息と共に聞こえた言葉に尋ね返した。
ぱちぱちと瞬きをして、女生徒が口を開く。
「ええ、そうよ。貸出かしら、それとも返却?」
「いや、それはさっき済んだよ。ただあのあたりの古書の棚、ちょっと本が詰まりすぎてるから整理したほうがいいんじゃないかと思ってな」
そう言っては先ほどの本棚を指差す。女生徒は何度か頷いて思案すると「分かったわ、ありがとう」と述べた。
からからと図書室の扉を閉める。
この後はどうするか。サッカー部にならって河川敷に行き、特訓を眺めるか。それとも円堂がずっと参加すると言い続けているFFの大会規約を眺めるか。ずっと気にはなっていたのだが、流石に図書室に大会規約は置いていなかった。サッカー部の部室かと思い探してみたけれども、探し方が悪いのか見つからない。ありかを訪ねようにも、そもそも木野は見たことがないと言っていた。一体誰に尋ねれば大会規約に目を通すことができるのだろうか。
ざわざわと空気が揺れるのを肌で感じて顔を上げると、皆一様に壁際によって会釈をしている。そんなことを気にも留めないように廊下を闊歩しているのはこの学校の理事長の娘であり、理事長代理である雷門夏未だった。
図書室の方へ向かって歩いてくるので、周りに倣っても軽く頭を下げた。別に大した意味などなく、すれ違う相手に頭を下げただけの行為だ。認識したのにそのまま歩き去るのも居心地が悪い。
頭を上げると、はそのまま雷門の隣を通り過ぎようと歩いて行く。阻んだのは雷門だった。
「さん。用事があるのだけれど、ちょっといいかしら」
微笑みを携えて柔らかな口調で話しかけては来ているが、断らせる気はないとはっきり眼が言っている。断ったら今度は実力行使、というか権力行使をするのだろうなあ、とぼんやり考えた。重ねて雷門がの名を呼ぶ。
「あまり面倒でないのなら」
「そう、それはよかったわ。ついてきてくれる?」
またも疑問形の形をとっているが、拒否権はなさそうだ。にはもとより拒否する理由はないのでそんなに威圧的に話しかけてこなくてもいいのに。
先導する雷門の後について歩く。たどり着いたのは雷門の自室だった。いまさらだが校内に自室というのもすごいな。
掛けてちょうだい、とソファを指差され素直に従う。雷門は向かいに腰かけた。上質な造りのソファは落ちつかない。座り心地はいいのだが、いかんせん落ち着かない。
紅茶は飲めるかしら、クッキーは、と次から次へと投げかけられる質問に返事をしていると5分と立たないうちにお茶会の準備が整っていた。どういうことだろう。今から何が始まるというのか。ここ最近はついていけない怒涛の展開が繰り広げられすぎだ。何が起こるのか全く予想できない。
本題を切り出すでもなく雷門はどうぞ、とテーブルの上の菓子やらお茶を勧めてくる。言われるがままに口に含む。とてもおいしかったがきっとそういう話がしたいわけではないだろう。
紅茶を飲む動作やクッキーを口に運ぶ動作。一挙一動を真正面から見つめられてとてもやりにくい。数日前にも似たような経験をした気がする。居心地が悪い。
雷門に合わせた視線を逸らしたり戻したりを4回。5回目に至るところで彼女がため息をついた。
「そんなに警戒しないでくださる? べつに獲って食べようってわけじゃないんだから」
ティーカップを優雅に持ち上げて雷門が琥珀色の液体を飲む。ちょっと困ったように微笑んでもう一度ため息をついた。
どうやら雷門の方も話を切り出すタイミングに戸惑っていたらしい。ふふ、と少し笑って口を開いた。
「さん。あなたは何を目的にしているのかしら」
「と、いうと?」
「あの弱小で廃部寸前のサッカー部にどうして協力しているのかしら。別に入部する気があるわけでもなさそうなのに」
なるほど。雷門の言いたいことはよく理解した。しかし解答には困る。しばらく黙って考え込んでいたら雷門がねえ、と促してくる。仕方なしに「別にない」と答えると、ぽかんと口を開けて長いまつ毛をぱちぱちと瞬かせている。
「ないって……まったく?」
「まったく」
念入りに尋ねてくる雷門に、同じように言葉を返す。さらに雷門は身を乗り出してまで尋ねてくる。そこまでしなくても本当に理由なんてないのだ。強いて言うなら風丸に強引に誘いこまれたくらいだ。
重ねて雷門は新しい質問を繰り出す。なぜ 入部はしないのか。
「部員数が増えると面倒なんじゃないか。潰すつもりでいるんだろう」
「ええ、そうね。そうだけれども」
が逆に質問をすると信じられない、と額に手を当てて雷門がため息をついた。乗り出していた身をソファに沈める。
ずいぶんと数の減ったクッキーに手を伸ばしながらは首をかしげた。としては至極当然の疑問を問うたにすぎないのだ。
ああ、それとも答えになっていないところに呆れられてしまったのだろうか。
「入部しない理由は面倒だからなんだが」
クッキーを租借し終えて紅茶で口内を潤すと、それだけを言った。雷門はさらに複雑そうな顔をする。全く持って何がいけないのか分からない。
雷門が疲れたように手をひらひらと振ってため息をこぼす。
「ありがとう、もういいわ」
「私からも1つ尋ねていいだろうか」
ティーカップを机に置くのと同時に尋ねる。疲れている様だし、断られたらそのまま退席するつもりだ。
思っていたよりまっすぐ視線を合わせて雷門が応えた。
「なにかしら」
「FF大会規約を見たいんだが、どこで見られる」
あっけにとられたように雷門が固まる。
あなたという人はだか、まったくだか、なにかを呟いた後、雷門がおもむろに立ち上がり、本棚に手を伸ばす。
本棚の中から分厚い一冊の本を取り出すととさりとテーブルに置いた。
「これよ」
「すまない」
ふうと息を吐いた雷門に軽く頭を下げる。
FFの大会規約書は予想していたよりも大きい。5センチはありそうだ。流石に1日で読むのは無理かもしれない。
「雷門。すまないがしばらく借りてもいいだろうか」
「差し上げるわ。私もうそれ読んでしまったの」
どこから手を付けていいのかは首をひねった。持ち上げるのも持ち運ぶのも大変そうだ。
ちらりと雷門を見ると同じように首をかしげていた。
やると言ったはいいが、どうやって持って帰らせるかを考えているのだろう。
ためしに持ち上げてみたが重たい。これを持って帰路につくのは正直嫌だ。
「すまないが、この重さのものを持って帰るのは骨が折れる。部室に置かせてもらっていいだろうか」
「お好きにどうぞ」
雷門からの了承は得たので遠慮なく部室に置かせてもらうことにする。
素晴らしく重たいが部室までの距離だと思うと耐えられる。
もう一度雷門に頭を下げて本を抱え込む。そうでもしないと落ちてしまいそうだった。
「大会規約書なんて読んで、次の練習試合には勝算があるの?」
「別にないが」
大会規約書は個人的に読みたいと思っただけで何サッカー部とは何の関係もない。そもそもがプレイをするわけではないのだから勝算などあるはずがない。確かに勝てないと廃部と言い渡されていたが、そのこととの行動は全く関わっていないのだ。そもそもは部員ではない。
さらりと否定を唱えると雷門は呆れたように笑った。
「あなたって本当、変な人ね。泥を塗らないようせいぜい頑張って頂戴って伝えてくれるかしら」
そう言って雷門が部屋の扉を開けた。もう一度頭を下げて部屋を出る。
これほど部室を遠いと感じたことはないなと、本を抱えなおす。
両手がふさがってしまったがどうやって靴を履きかえよう。よろよろと階段を下りながらはため息をついた。
ところで雷門は一体何が聞きたかったというのだろうか。今度、機会があったら尋ねてみようとは心の奥底にその疑問を追いやった。
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